大木操
昭和20(1945)年8月15日
玉音放送に涙す 第二次世界大戦
正午、予算委員室にて、正副議長、余及全職員並[ならびに]居合せたる議員と共に、ラヂオを謹んできく。詔書を宣らせ賜ふ。玉音に、頭[こうべ]垂れ悲憤の涙抑へ難し。しかしこの恨みは何れは霽[は]らさむ。
終戦の玉音放送を聞いたときの日記です。大木は、帝国議会議事堂内の予算委員室で、正副議長や全職員、議員と一緒に終戦の詔書を聞き、涙したことを記録しています。
昭和20(1945)年8月15日
正午、予算委員室にて、正副議長、余及全職員並[ならびに]居合せたる議員と共に、ラヂオを謹んできく。詔書を宣らせ賜ふ。玉音に、頭[こうべ]垂れ悲憤の涙抑へ難し。しかしこの恨みは何れは霽[は]らさむ。
終戦の玉音放送を聞いたときの日記です。大木は、帝国議会議事堂内の予算委員室で、正副議長や全職員、議員と一緒に終戦の詔書を聞き、涙したことを記録しています。