杉浦譲
文久4年1月3日(1864年2月10日)
日本を離れる前、鹿児島沖にて 海外
波穏に船平にして、始て蒸気の力を専にするを得たり。漸く薩の地方に近寄て航す。海門嶽[開聞岳]遙に波光潮煙の外に聳[そびえ]て、宛然月夜の芙蓉に似たり。眺望いと面白し。夜に入り風雨一並来り、天色昏黒枕上点滴に霑ふも苦し。
文久3(1863)年の江戸幕府による遣欧使節の一員として航海に出る杉浦は、鹿児島沖で開聞岳(海門嶽)を見て、芙蓉の花そっくりだと記しています。ここから日本を離れて、フランスまで2か月半の長い航海が始まりました。