寺光忠
昭和20(1945)年8月8日
広島の原子爆弾の威力 第二次世界大戦
曰[いわ]く「広島(東西一里、南北一里、半数疎開で現在人口二十万)へB29、 4機。午前八時半。原子爆弾らしく、人口半数たる十万人死亡せり」と。小村藤井正木すべてその他の人々の安否気づかはる。多くは望み無かるべし。…軍も相当に動揺せるものの如し。
寺光は、貴族院書記官長から、広島に投下された原子爆弾の被害について聞きました。日記の欄外には、「トルーマンによれば、一トンにして威力二千倍なり」と原爆の威力についてつづられています。