みずのなおし
1879年~1929年
本日まで議院休会。世襲財産小委員会、岡野、富井、奥田三博士修正の案を提出、宮内省側吉田平吾氏の意見あり。研究会大蔵部会、市来、神野両局長の説明あり。追加予算に干[関]し、三千八百万円募債と還元説との説明。
今日の戦は兵器の戦にて、人の戦に非[あら]ず。兵器中に魂入り、魂によりて刀を作るに非ず。独帝はウヅメの命[みこと]の弟少彦命[すくなひこのみこと]の連なる故、日本には利益なり。露英は日本に害あり。支那伏羲[ふっき]はイザナミ命、神農は佐田彦[さたひこ]、黄帝は素サノウの命なり。龍に上る三名土をいぢる故に、尭[ぎょう]を代表者として天下を渡せり。人君にして神君に非ず。
寺内首相、本野外相演舌、大隈侯出席。欧州交戦国慰問決議、黒田侯提出。
Sibeの事情悪くなる。英米とも過激派に通じて利権を得る事を勉む。米国より提案して日本にて出兵の場合に、大部隊を出す時米国の兵を参加せしむるや否や。
水曜日。大浦子事務所より電話、一、鳥取の石谷はその友人より、鎌倉に来り相談すとの話なり。一、愛媛、熊本は直接の干係[関係]なし、下岡、安達と相談せん、両人とも目下奈良に出張中。
年
1897〔懐中手帳 明治三〇、三十一、三十二年〕 明治30~32年
【水野直関係文書18】
年
1899〔懐中手帳 明治三十二年〕 明治32年
【水野直関係文書19】
年
1900〔懐中日記 明治三十三年〕 明治33年
【水野直関係文書20】
年
1901日記 明治三十四年 明治34年
【水野直関係文書10】
年
1902日記 明治三十五年 明治35年
【水野直関係文書11】
年
1904〔懐中手帳 明治三十七年〕 〔明治37年〕
【水野直関係文書21】
年
1907〔懐中手帳 明治四十年〕 〔明治40年〕
【水野直関係文書22】
年
1909尚友会幹事日誌 明治四十二、四十三年 明治42~43年
【水野直関係文書12】
年
1910〔懐中手帳 明治四十三年頃〕 明治43年
【水野直関係文書23-1】
年
1910〔懐中手帳 明治四十三年頃〕 〔明治43年ヵ〕
【水野直関係文書23-2】
年
1912〔懐中手帳 大正元年) 大正元年[発行]
【水野直関係文書24】
年
1913〔懐中手帳 大正二年〕 大正2年
【水野直関係文書25】
1879.1.5東京生まれ。男爵水野忠幹(旧紀州新宮藩主)の五男、子爵水野忠愛(旧下総結城藩主)の養嗣子。1884.10襲爵、1903.7東京帝国大学法科卒。1904.7貴族院議員、研究会に入る、1913.6教育調査会会員、1917.9~19.11臨時教育会議委員、1919.12学習院御用掛、1923.4研究会を脱会し親和会に入会、1923.7親和会解散し研究会に合体、1925.8~27.4加藤高明内閣陸軍政務次官、1929.4.30死去。
(リサーチ・ナビ「水野直関係文書」より)