国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

水野直

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水野直の肖像写真

水野直

みずのなおし
1879年~1929年

水野直の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 大正期に貴族院研究会の領袖として活躍した水野の日記、手帳。
  • 日記は、1901・1902、1916・1917、1921~1923年。手帳は1897年~1926年。他に1909・1910年「尚友会幹事日誌」がある。
  • 大正期の貴族院研究会の勢力拡大の様子や貴族院内の動き等が記される。

水野直の日記より

明治31(1898)年8月1日

第二学期開始 
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本日より、第二学期授業始めあり。近衛院長の訓戒あり。帰途、平岡君を訪ふ。夜吉田貢を訪へり。
大正5(1916)年1月15日

世襲財産の改正案と第37帝国議会  帝国議会
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本日まで議院休会。世襲財産小委員会、岡野、富井、奥田三博士修正の案を提出、宮内省側吉田平吾氏の意見あり。研究会大蔵部会、市来、神野両局長の説明あり。追加予算に干[関]し、三千八百万円募債と還元説との説明。
大正5(1916)年1月29日

臨時軍事費  第一次世界大戦経済
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予算第一分科、臨時軍事費きぼう付決議。
大正5(1916)年6月11日

戦いについて  第一次世界大戦
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今日の戦は兵器の戦にて、人の戦に非[あら]ず。兵器中に魂入り、魂によりて刀を作るに非ず。独帝はウヅメの命[みこと]の弟少彦命[すくなひこのみこと]の連なる故、日本には利益なり。露英は日本に害あり。支那伏羲[ふっき]はイザナミ命、神農は佐田彦[さたひこ]、黄帝は素サノウの命なり。龍に上る三名土をいぢる故に、尭[ぎょう]を代表者として天下を渡せり。人君にして神君に非ず。
大正5(1916)年11月3日

結城家の埋蔵金 
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本日中央新聞夕刊に、結城城跡に二億円埋蔵の記事あり。
大正6(1917)年1月23日

欧州交戦国慰問決議  帝国議会
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寺内首相、本野外相演舌、大隈侯出席。欧州交戦国慰問決議、黒田侯提出。
大正6(1917)年8月27日

中国の腐敗 
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赤星邸にて支那南方の張継、戴傳賢、福長、岩下の事情聞取。清朝后腐敗。朝旨退歩、軍隊圧迫。段の勢力は格別なし。
大正7(1918)年4月22日

常務委員重任 
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常務委員重任決す。協同会幹事神田男如何。土曜会の人数多し。真田男を減ずるも可。
大正7(1918)年4月28日

シベリア事情  事件
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Sibeの事情悪くなる。英米とも過激派に通じて利権を得る事を勉む。米国より提案して日本にて出兵の場合に、大部隊を出す時米国の兵を参加せしむるや否や。
大正7(1918)年5月12日

貴族院会派の青田買い  選挙
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水曜日。大浦子事務所より電話、一、鳥取の石谷はその友人より、鎌倉に来り相談すとの話なり。一、愛媛、熊本は直接の干係[関係]なし、下岡、安達と相談せん、両人とも目下奈良に出張中。
大正7(1918)年8月26日

「米騒動」への対応  事件経済
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政府の物価、殊に米価調節に干[関]する措置は、好結果を見ざりしうらみあり。
大正11(1922)年5月4日

研究会の結束
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一、徳川邸に三浦、黒田、岡崎会合、岡崎氏よりこの際全く取るべき策無く、何分宜敷願ふとの事なり。
大正11(1922)年5月8日

憲政会との提携
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一、浜口雄幸氏邸を訪問、先日来訪挨拶なり。憲政会が内閣を組織したる場合、研究会は現在の政策を捨て協同し得るや否やの問。答(一)何人か余以外にこの件に干[関]し答弁者を見出す事。(二)議員となりてこの精神を遂行する決心をする事。(三)決心出来ざれば全く政界より引退する事。(四)数日間考慮して武士的に解決する事。
大正11(1922)年5月10日

大研究会への布石
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一、夜黒田子訪問。一、郷男爵本日来訪の由。訴訟の件は中止、理由書の発表も見合はす事、尚友会に入会して華族統一に賛成。
大正12(1923)年8月24日

加藤首相死去 
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加藤首相薨去[こうきょ]。

水野直の日記一覧 (国立国会図書館デジタルコレクション収録分のみ)

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