伊藤博文
明治31(1898)年9月15日
総理衙門[そうりがもん]及李鴻章を訪問す。午後各公使を問。
総理大臣を辞任後、漫遊と称し伊藤博文は清国視察に出かけました。抜書きの総理衙門は清国の外交担当の部署です。当時清国は、近代化を計る急進派が光緒帝を擁して改革を行い、また西太后を中心とする保守派がこれを牽制しようとしている状況でした。伊藤は李鴻章(りこうしょう)を始めとする大臣らと会見し、光緒帝にも9月20日謁見しました。その翌日クーデターにより皇帝は幽閉されました(戊戌の政変)。
明治31(1898)年9月15日
総理衙門[そうりがもん]及李鴻章を訪問す。午後各公使を問。
総理大臣を辞任後、漫遊と称し伊藤博文は清国視察に出かけました。抜書きの総理衙門は清国の外交担当の部署です。当時清国は、近代化を計る急進派が光緒帝を擁して改革を行い、また西太后を中心とする保守派がこれを牽制しようとしている状況でした。伊藤は李鴻章(りこうしょう)を始めとする大臣らと会見し、光緒帝にも9月20日謁見しました。その翌日クーデターにより皇帝は幽閉されました(戊戌の政変)。