明治23(1890)年6月1日
明治の女子教育
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午後に桑[サンフランシスコ]を指して出発の日なれど、朝教会に行き、今一度日本語の説教を聞き、しかる後、野毛丁[町]の館に帰り、仕度をなし、再び父上の御勧を受く。「金銭の価値を知て無益に費用せず、謹んで能く経済を守り、毎月その計算を国本[くにもと]に報ずる事」。
明治23(1890)年6月1日
午後に桑[サンフランシスコ]を指して出発の日なれど、朝教会に行き、今一度日本語の説教を聞き、しかる後、野毛丁[町]の館に帰り、仕度をなし、再び父上の御勧を受く。「金銭の価値を知て無益に費用せず、謹んで能く経済を守り、毎月その計算を国本[くにもと]に報ずる事」。
明治23(1890)年11月25日
帝国議会始めて召集せらる。衆議院議員衆議院(内幸町)に集会す。書記官長曽根荒助、仮に議長の職を行ふ。議長候補者三名を選挙す。中嶋信行議長となり、津田真道、松田正久三氏当選す。副議長候補者三名を選挙す。津田真道、楠本正隆、松田正久当選す。
明治23(1890)年11月29日
天皇式場に出御、勅語を朗読す。午后衆議院議員議場に会し、勅語奉答の事を議す。
明治24(1891)年11月10日
午後第四半、新嘉坡[シンガポール]着す。ルフールホテルに一泊、取扱甚だ不可なり。食物もまた甚だ不味[まずい]。始めて仏船の美味を感ぜり。
明治24(1891)年11月30日
日曜午前五時、アレキサントル着す。天気にして恰[あたかも]春陽の如し。高楼層閣櫛比し、旧時の大都府に負かざるべし。
明治25(1892)年8月26日
この日、巡視中農園において相嘗[こころ]みたる牛乳は、至て新しくして、且味[あじわひ]頗[すこぶ]る美なり。真[まこと]に米国[アメリカ]在留の時を想ひ起せり。
明治25(1892)年9月24日
午前七時過、室蘭港より端舟に乗り、炭鉱鉄道会社の桟橋を渡り、直[ただち]に汽車に乗り、登別停車場において下り、直に馬に乗り、温泉場に至る。…温泉は瀧の湯・下の湯等ありて、実に怡楽[快楽]の場所なり。
明治26(1893)年7月30日
星氏出発の后で、龍野は懇親会場に臨み、山田氏の紹介にて我党方針の一班を演説し、喝采[かっさい]湧くが如く自由万歳を祝し散会せり。
明治26(1893)年8月18日
午後当府において、百万の財産家(Million earl ミリオン イエール)と称するDunsmuir ダンスミュイア氏殿下を訪問し、自宅に来臨を請ふ。依て殿下に陪し、同人の邸宅に至る。海浜丘陵上に建築せるをもって、ジラルジヤ海峡を俯瞰[ふかん]し、兼てまたヴィクトリヤ全市を一眸の下[もと]に集め、風景最も宜し。暫時庭園を逍遥し、客室に入り家族と対話の末、同人に送られホテルに還る。
明治26(1893)年10月23日
午前十一時石の巻を出て、桃生郡深谷村広淵[ものうぐんふかやむらこうえん]に抵[いた]り、広淵寺の公会に臨む。聴衆一千五百余、瀬戸、重野、龍野、板翁出演。非常の感動を与へ、午後八時半散会。
明治26(1893)年10月30日
この夜、稲井村某氏の宅に開ける演説会に臨む。聴衆二百名斗[ばかり]、重野氏先づ立憲政体論を述べ、余は自由党の方針に就て三時半演説し、夜半散会せり。改進党の壮士両三名来り妨害を企つ。成らず。遂に逃げ去れり。
明治27(1894)年1月1日
快晴。午前九時参朝、両陛下に拝謁し、青山御所に参り、皇太后に拝謁、続て東宮殿下に拝謁し、その後各親王に参賀して正午帰邸す。
明治27(1894)年3月1日
改進党の暴士数十名棍棒を振り、礫[つぶて]を抛[なげう]ち、余を要撃せんとす。余車上彼等を大喝し、短銃一丸を放てば、彼等皆四方に逃げ散れり。
明治27(1894)年4月17日
「サン・ポーロ」寺は、「タイバー」河畔にあり。彼の耶蘇[ヤソ]の高弟「セント・ポール」の墳墓の地に、「サン・ピエトロ」寺に均しき伽藍[がらん]を建築せんとて、法王の勧誘に依り「コンスタンチン」大帝の起工したる所なり。後歴代の帝王法王等は、切[しき]りに荘厳なる修飾を施し、羅馬[ローマ]寺院中最美最麗最大なるものとなりたり。
明治27(1894)年8月19日
本日、寺島伯来訪。胸襟を披ひて、本邦及海外に関し種々談話を為し、殊[こと]に快楽を覚へたり。
明治27(1894)年8月21日
来訪者殿下と談話中、余は殿下より暫時の御暇を請ひ、姪剛十郎の案内に依り「ミカド」と称する劇場に赴き、米人[アメリカ人]が如何なる思想と考按とをもって我帝国の状態を模写するやを一覧し、了[おわっ]て屋上園(ルーフ・ガーデン)を観覧して、直に帰館せり。
明治29(1896)年3月29日
登院閉院式。十二時赤坂離宮にて内閣総理より宴会。
明治29(1896)年5月14日
大久保侯十九年忌参拝。本野盛亨より頼醇の軸を。皇女拝祝。
明治30(1897)年11月28日
午前八時、西京[京都]停車所にて沼津に向て発す。石黒氏は名古屋にて下車一泊す。午後七時、沼津に着す。
明治31(1898)年6月10日
議会開会九時出院、伊藤総理演説好し。民法施行法案継続の案否決。民法通過。衆議院増税案否決議会解散。午後三時黒田宅に行く。
明治31(1898)年8月1日
本日より、第二学期授業始めあり。近衛院長の訓戒あり。帰途、平岡君を訪ふ。夜吉田貢を訪へり。
明治32(1899)年5月24日
英国公使館にて英国女皇の御Birthday園遊会に行。この日始めて青木大臣に面会し、また久々にてのSocial Gatheringとて誠に面白くかんず。