児玉源太郎
明治25(1892)年8月3日
午前第六時、新嘉坡[シンガポール]解纜[かいらん]す。新嘉坡において日本新聞中の田中司法去り佐野出る、且西郷、品川の遊説を伝ふ。何処迄に不明に侵入するや、実に慷慨[こうがい]に堪えず。特に書す。
児玉が欧州視察からの帰国途中に記した日記です。シンガポールで日本新聞から、田中不二麿(たなかふじまろ)司法大臣が去ったこと、西郷従道や品川弥二郎が国民協会を設立して遊説を始めたことなどを知り憤っています。
明治25(1892)年8月3日
午前第六時、新嘉坡[シンガポール]解纜[かいらん]す。新嘉坡において日本新聞中の田中司法去り佐野出る、且西郷、品川の遊説を伝ふ。何処迄に不明に侵入するや、実に慷慨[こうがい]に堪えず。特に書す。
児玉が欧州視察からの帰国途中に記した日記です。シンガポールで日本新聞から、田中不二麿(たなかふじまろ)司法大臣が去ったこと、西郷従道や品川弥二郎が国民協会を設立して遊説を始めたことなどを知り憤っています。