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宮島誠一郎
明治元年9月6日(1868年10月21日)
東北各藩の混迷 戊辰戦争
各藩兵結束して福島に会す。米沢本陳より坂蘭渓自ら諸陳を巡り、百方これを説諭し解兵せしむ。諸陣これを肯んぜず。蘭渓、人をして庭坂の本陳に告げ、各藩議論蜂起兵力をもってこれを脅すに非れば、制馭[せいぎょ]すべからず。急々見兵を尽して福島に至るべし。
奥羽越列藩同盟に加盟していた米沢藩でしたが、縁戚関係にある土佐藩からの勧告を受けて、新政府軍への降伏を決意します。米沢藩は9月3日、越後口の新政府軍に降伏書を提出しました。日記では、その後、同盟各藩に兵を解くように諭す様子が書かれています。この後、仙台藩等次々降伏し、会津藩だけが孤立することとなりました。