ふくしまやすまさ
1852年~1919年
昨日報知新聞に、露[ロシア]軍の唱する日本討伐軍歌なるものを訳載せるを読む。
英国宣教医グレーを訪ふ。午睡中にて面会せず。氏は、十五年前余が単騎遠征の途次、この地に来りし時の旧相識なり。彼は団匪[だんぴ]の変、家を焼かれ、家財を奪はれ、身をもって浦港[ウラジオストク]に逃れしも、事収ればまた旧の如し。その忍耐感ずべし。
暫くして電話あり。事実らしく思はる。これより参謀本部に行き、取調らぶと。余もまた心に掛るをもって、車を命じて陸軍大臣を訪ふ。後藤新平、大島健一あり。始めて事実を詳[つまび]らかにす。今朝九時、哈爾賓[ハルビン]停車場において、韓人四五名に扭撃せられ、二重傷を蒙[こうむ]り十一時薨去せり。
年
1896〔福島安正日記〕 明治29年2月~4月
【憲政資料室収集文書1358-1】
年
1902〔福島安正日記〕 明治35年2月~明治36年1月
【憲政資料室収集文書1358-2】
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1903日記 明治36年5月1日~10月6日
【福島安正関係文書44】
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1905〔福島安正日記〕 明治39年10月~明治40年12月
【憲政資料室収集文書1358-3】
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1907〔福島安正日記〕 明治41年1月~11月
【憲政資料室収集文書1358-4】
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1908〔福島安正日記〕 明治42年1月~12月
【憲政資料室収集文書1358-5】
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1909〔福島安正日記〕 明治43年1月~6月
【憲政資料室収集文書1358-6】
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1909〔福島安正日記〕 明治43年7月~12月
【憲政資料室収集文書1358-7】
年
1914大正三年 九月起 十二月止 日誌 大正3年9月1日~15日
【福島安正関係文書45】
嘉永5(1852).9.15長崎生まれ。明治4(1871)大学南校中退、1873.4司法省13等出仕(明法寮翻訳課)、1874.9陸軍省11等出仕(参謀局)、1878.5中尉、参謀本部付、1879.8~12清国出張、1882.7朝鮮出張、9清国出張、1883.2大尉、9清国公使館付、1885.2~4天津条約交渉随員、1886.3インド出張、1887.3ドイツ公使館付、1888.3少佐、1889.10~1890.2バルカン視察、1892.2~1893.6シベリア視察、1893.2中佐、1894.6京城公使館付、3大佐、1895.8~1897.3亜欧旅行、1895.9参謀本部編纂課長、1896.5参謀本部第3部長、1899.1参謀本部第2部長、1900.4少将、兼西部都督部参謀長、1900.6~7臨時派遣隊司令官、1900.9~1901.6北清連合軍幕僚、1902.5~11イギリス出張、1904.2大本営参謀、1904.6~1905.11満洲軍参謀、1906.7中将、1907.9男爵、1909.12参謀次長、1912.4~1914.9関東都督、1914.9大将、後備役編入、11帝国在郷軍人会副会長、1919.2.18死去。
(リサーチ・ナビ「福島安正関係文書」より)
近代日本人の肖像より