国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

福島安正

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福島安正の肖像写真

福島安正

ふくしまやすまさ
1852年~1919年

福島安正の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 陸軍軍人福島安正の探索・探検の日記。ビルマや満韓、北清、長江地方等の視察日記あり。
  • 憲政資料室収集文書中に7冊、福島安正関係文書中に2冊。ペン書き。
  • 日記中には、訪問先の軍事情報等も記されている。

福島安正の日記より

明治36(1903)年9月1日

軽井沢で遅めの静養 
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午后暫時睡眠の後、入浴して野花の間を快游し、三時頃万平ホテルに赴き、紅茶を喫して帰る。このホテルは十年前より営業する者、山に拠り風光佳絶たり。この日曇天、夜に入り雷雨あり。声山谷に反響して、天地為めに震動せり。
明治36(1903)年9月2日

報知新聞で知ったロシアの日本討伐軍歌 図書館・読書
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昨日報知新聞に、露[ロシア]軍の唱する日本討伐軍歌なるものを訳載せるを読む。
明治40(1907)年8月19日

旧知の宣教医を訪ねる  海外
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英国宣教医グレーを訪ふ。午睡中にて面会せず。氏は、十五年前余が単騎遠征の途次、この地に来りし時の旧相識なり。彼は団匪[だんぴ]の変、家を焼かれ、家財を奪はれ、身をもって浦港[ウラジオストク]に逃れしも、事収ればまた旧の如し。その忍耐感ずべし。
明治41(1908)年5月16日

壮麗な赤坂御所 
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新築東宮御所拝覧、壮麗人目を驚かす。
明治42(1909)年10月26日

伊藤博文暗殺の知らせ  事件
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暫くして電話あり。事実らしく思はる。これより参謀本部に行き、取調らぶと。余もまた心に掛るをもって、車を命じて陸軍大臣を訪ふ。後藤新平、大島健一あり。始めて事実を詳[つまび]らかにす。今朝九時、哈爾賓[ハルビン]停車場において、韓人四五名に扭撃せられ、二重傷を蒙[こうむ]り十一時薨去せり。
明治43(1910)年1月4日

陸軍大臣が気にかける満洲 
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陸軍大臣余を官房に招く。満洲旅行前談話したき希望を有するによる。主として、関東都督と領事と満鉄等の関係に関する件なり。
明治43(1910)年5月19日

ハレー彗星見えず  事件娯楽
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哈勒[ハレ―]彗星、十九日太陽面通過。…人皆な彗星の太陽通過を見んと欲し、烟じたる玻璃板をもって太陽を望見するも、一[ひとつ]も目に触るゝものなし。
大正3(1914)年9月13日

大将発令の内示
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大島陸軍次官より機密電。閣下は、来る十五日附をもって大将進級の上、後備仰付[おおせつけ]らるゝ筈、発令まで秘密とせられたし。

福島安正について

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