武器(大砲・銃)

大砲

標準画像を開く 画像は、1893年のシカゴ万博におけるクルップ館の外観と、展示された大砲である。クルップ社は鉄鋼製品製造業であったが、武器製造に目をつけて発展し、社長アルフレート・クルップ(Alfred Krupp)は「大砲王」と呼ばれた。万博は各国による武力誇示の場でもあった。

大砲が本格的に登場したのは14世紀初頭である。初期の大砲は、砲口から発射薬、弾丸を装填する前装式であった。その後、19世紀に入り、近代的な砲尾装填の後装式が開発されたことにより、装填に要する時間は大幅に短縮され、速射性が実現した。後装式のライフル砲としてはアームストロング砲が有名である。

しかし、硬くてもろい銑鉄や、軟らかい錬鉄で作られていた大砲は破裂しやすく、強いの使用が求められていた。1740年にイギリスのハンツマン(B. Huntsman)が坩堝(るつぼ)で鋼を作る坩堝法を発明していたが、少量しか生産できなかった。プロイセンではクルップが坩堝法で作った鋼鉄砲を作り、1851年にはロンドン万博へ、当時としては最大級の4,500ポンドの鋼塊と6ポンド野砲を出展して度肝を抜いたが、これは98個の坩堝で作られたものであった。

1856年イギリスで、ベッセマー(H. Bessemer)が新しい製鋼法を発明した。これは溶けた銑鉄に空気を吹き込むだけで鋼になるというもので、鋼の大量生産を実現した。彼は洋ナシ形をした回転式転炉を作り、1859年にはベッセマー製鋼会社を設立し、安価な鋼の大量生産に乗り出している。

また、当時は弾薬を発射口から詰める前装式から、砲尾から詰める後装式への転換期であった。クルップ社は、ベッセマー法による強い鋼を用いた後装式の大砲を製作し、各国の軍隊に用いられるようになり、1893年のシカゴ万博では「クルップ館」が作られるほどであった。

これらの技術的な向上により、大砲は兵器としてより強力なものになった。1880年代には発射時の反動を弱める駐退機、反動力を利用して砲身を元の位置に戻す復座機が発明され、近代大砲の基礎は形成された。また、19世紀末には、様々な欠点を持っていた黒色火薬にかわり、フランスのビエイユ(P. M. E. Vieille)が無煙火薬を発明したことにより、初速の向上、射程距離の増加、携行弾薬量の増加などが実現し、大砲の性能は進歩した。

標準画像を開く 画像は、1862年の第2回ロンドン万博に出品されたホイットワース(Whitworth)社の銃で、金メダルを獲得したもの。ホイットワース・ライフルは南北戦争で南軍に採用されたが、南北戦争では近代的な軍事品目が出そろい、銃の歴史も大きく変化した。

銃の歴史は、その発火・発射機能、装填方式の改良の歴史でもある。マッチロック(いわゆる火縄銃)から、フリントロックという火打石をやすりに強打して発火させる方法、そして1822年に、雷管を用いて衝撃でまず雷酸水銀を発火させるパーカッションロックという化学的な方法が開発された。これは開口部がないため、天候に左右されないという利点があった。

装填方法はどれも前装式だったが、19世紀になると、鋼鉄の製造技術が向上し、強度が増したことから、弾薬を銃身の後ろから装填する後装式の開発が次々と試みられた。

1836年にプロシアの技術者ドライゼ(J. N. von Dreyse)が開発したニードル銃は、後装銃が前装銃より優位になった記念すべき銃と言える。ボルト(ドアを閉める際にも使われる簡単な鍵状のもの)を銃尾に備えたことで、後装式の問題点であった漏洩ガスを防ぎ、ニードル銃と呼ばれる所以である長い撃針が、弾薬・弾丸・発射薬・起爆用の雷管が紙で包まれて一体化されているカートリッジを突き破るのが特徴である。ニードル銃はドイツ統一期のプロイセン軍の勝利に貢献した。なお、この方式はボルトアクション方式として現在にも続いている。

金属製のカートリッジについては、1851年の第1回ロンドン万博に、フランスの銃工フロベールト(Flobert)によるリムファイア式カートリッジが出展されている。これは薬莢後端外周の中空の輪のふち(リム)に雷管に相当する火薬が含まれており、リムを叩いて発火させる方式であった。

このリムファイア式カートリッジを、より実用的なものに発展させたのが、S&W(Smith & Wesson)社である。彼らは、回転式の連発拳銃(リボルバーモデル)の開発にも強い意欲を示した。1836年に創立されたアメリカのコルト(Colt's Manufacturing)社が前装式のリボルバーを完成し、それをS & W 社が後装式としてまとめたと言えよう。長年の夢であった連発銃はこの頃完成したのである。

1860年には、S&W 社の32口径のリボルバーモデルが北軍に採用され、南北戦争において使用されることにより、回転式連発銃の認知度が一気に高まった。回転式連発銃は拳銃だったが、肩に載せて連射できるものとして、銃床内に弾倉を持つ連発銃も南北戦争に導入されている。右画像は1867年パリ万博に出品された後装式連発銃の構造図面である。

その後、大口径に向かなかったリムファイアの欠点を改善し、より高い圧力に耐えられるセンターファイアー式カートリッジが開発された。カートリッジ底部中央に発火用の雷管を装着しているもので、主流となった。また、大砲と同様、無煙火薬の発明により、連発式銃がより実用的になり、各国が次々に無煙火薬を採用するようになっていった。

標準画像を開く
後装式連発銃

大砲 (20画像)

T.W. Blakely出品の大砲 標準画像を開く Gatling Gun社出品のガトリング砲 標準画像を開く クルップ砲と見物客 標準画像を開く
T.W. Blakely出品の大砲 Gatling Gun社出品のガトリング砲 クルップ砲と見物客

大砲 サムネイル一覧へ

銃 (16画像)

フランス製の銃 標準画像を開く Feanne & Deanne社製のピストル 標準画像を開く Winchester Repeating Arms社製の1892年式連射銃 標準画像を開く
フランス製の銃 Feanne & Deanne社製のピストル Winchester Repeating Arms社製の1892年式連射銃

銃 サムネイル一覧へ

参考文献:

岩堂憲人 『世界銃砲史』 国書刊行会 1995 <PS141-G2>
ウィリアム・マンチェスター著 ; 鈴木主税訳 『クルップの歴史 : 1587-1968』 フジ出版社 1982 <GK21-44>
鹿島茂 「パリ万博絶景博物館(25)フランスにおける製鋼革命」 (『施工』 382号 1997.8 <Z16-72>)
三宅宏司 「クルップ社の一九世紀-二人のクルップ・万国博覧会・日本-」 (吉田光邦編 『万国博覧会の研究』 思文閣出版 1986 <D7-71>)
諸田実 『クルップ』 東洋経済新報社 1970 <DH26-10>