1893年シカゴ万博

電気の活用

名称
:World’s Columbian Exposition
開催期間
:1893年5月1日~10月30日
場所
:シカゴ(ジャクソン公園、ミッドウェイ・プレザンス)
入場者数
:2,752万9,000人

コロンブスによる新大陸発見400周年を記念して開かれた万博。1890年春、ニューヨークなどとの激しい誘致競争の末に開催が決まった。19世紀にアメリカが開催した博覧会中最も規模が大きく、入場者数は当時のアメリカ国民の人口の約半数にのぼった。

この万博では、動力としての電気の応用事例が多く示された(コラム「電気の活用」)。

会場は、シカゴ郊外のミシガン湖畔の公園を中心とする湿地帯を造成した約700エーカーの土地で、設計はセントラル・パークを手がけたオルムステッド(F. L. Olmsted)と助手のコッドマン(H. Codman)が担い、シカゴの高層ビル建築などに実績のあるバーナム(D. H. Burnham)やルート(J. W. Root)を中心に建築が進められた。1889年第4回パリ万博が強烈に意識され、計画当初からエッフェル塔を凌ぐ建物の必要性が叫ばれていた。博覧会本部や主要各館が並ぶ「栄誉の中庭」区域は、古代ギリシア・ローマ風の新古典主義様式で統一され、化粧石膏を施されて白亜の輝きを放っていたことから「ホワイト・シティ」と呼ばれた。また、計画から運営までを女性が行う「女性館」も建設され、女性による出展品や家庭用製品等が展示されたほか、日本も「貴婦人の私室」を出展している。

一方、ミッドウェイ・プレザンスと呼ばれる遊興区域には、世界初の巨大観覧車「フェリスの車輪」、係留気球など大型の遊具が設置され、アジアや中近東の異国情緒溢れる建物やダンスなどのショーにより、来場者を楽しませた。この好評が、後年、遊園地を万博に付設するきっかけとなる。奇しくも、ディズニー(W. E. Disney)の父が工事作業員として参加しているのは興味深い。

当時のアメリカは経済不況の只中にあったが、万博は経済的な成功を収めた。ほとんどの建物がその後の火災で焼失し、美術館のみが自然科学博物館として残っている。

参考文献:

大井浩二 『ホワイト・シティの幻影』 研究社出版 1993 <GH94-E4>
寺下勍編 『博覧会強記』 エキスプラン 1987 <D7-E85>
能登路雅子 「世界コロンブス記念博覧会-百年後の視点から見たシカゴの夢」 in Rossiter, J. ed.: A history of the World's Columbian Exposition : held in Chicago in 1893. v.1 (Athena Press, 2004) <D7-B5>
Finding, J. E., Pelle, K. D. ed.: Historical dictionary of world's fairs and expositions, 1851-1988 (Greenwood Press, 1990) <D7-B3>