第1回内国勧業博覧会

殖産興業のために

開催期間
:1877(明治10)年8月21日~11月30日
場所
:東京上野公園
入場者数
:454,168人

1877(明治10)年の8月、西南戦争開戦の中、日本で初めての内国勧業博覧会の開場式が行われた。本会は、日本が参加した1873年のウィーン万国博覧会を参考に、初代内務卿大久保利通が推し進めたものである。

博覧会と銘打ったものは、以前にも存在したが、そのほとんどが名宝や珍品を集めて観覧させることが目的であった。この博覧会は、特に「勧業」の二文字を冠していることからも明らかなように、出品物の中から殖産興業推進には不必要な"見世物"のイメージを厳格に否定し、欧米からの技術と在来技術の出会いの場となる産業奨励会としての面を前面に押し出している。

約10万平方メートルの会場には、美術本館、農業館、機械館、園芸館、動物館が建てられ、寛永寺旧本坊の表門の上には大時計が掲げられた。また、公園入り口に造られた約10メートルのアメリカ式の風車(地下水汲み上げ用)や上野東照宮前から公園にかけての数千個の提灯が彩を添えた。

全国から集められた出品物は、前年のフィラデルフィア万博にならって大きく6つの部(鉱業及び冶金術、製造物、美術、機械、農業、園芸)に分類され、素材・製法・品質・調整・効用・価値・価格などの基準で審査が行われた。優秀作には賞牌・褒状等が授与され、いわば物品調査と産業奨励が同時に行われていたと言える。 この博覧会では、紡織産業が多くの割合を占めたが、その中で最高の賞牌、鳳紋賞牌を与えられた臥雲辰致は、日本の特許制度を語る上でもよく挙げられる人物である(コラム 明治の特許制度)。

第1回内国勧業博覧会は日本の産業促進に大きな影響を与え、以後の博覧会の原型となった。

参考文献:

國雄行 『博覧会の時代 : 明治政府の博覧会政策』 岩田書院 2005 <D7-H68>
國雄行, 東京都立短期大学 『近代日本と博覧会・明治政府の内国勧業博覧会・万国博覧会・共進会政策』 1999-2002 (文部省科学研究費補助金研究成果報告書)<Y151-H11610365>
吉田光邦編 『図説万国博覧会史 : 1851-1942』 思文閣出版 1985 <D7-66>
吉田光邦 『万国博覧会 : 技術文明史的に』 改訂版 日本放送出版協会 1985 <D7-67>
吉見俊哉 『都市のドラマトゥルギー : 東京・盛り場の社会史』 河出書房新社 2008 <EC122-J31>