1876年フィラデルフィア万博
アメリカ独立100周年
- 名称
- :Centennial International Exhibition
- 開催期間
- :1876年5月10日~11月10日
- 場所
- :フィラデルフィア(フェアモントパーク)
- 入場者数
- :978万9,000人
アメリカ独立100周年記念として開催された万博である。発案者はインディアナ州ワバッシュ大学のキャンベル(J. L. Campbell)博士であり、彼は1866年にフィラデルフィア市長に万博開催企画を提出した。1871年には、連邦議会において「万国の美術・工業・農業製品に関する国際博覧会を開催し、アメリカの独立100周年を祝賀する」との旨が決議され、万博の開催が決定した。
その万博を監督する機関として、各州と特別自治区の知事が推薦した候補者の中から大統領が指名する「百周年委員会」を設置したが、この委員会はボランティアであるとともに、連邦政府は万博に資金的な責任は持たず、民間主導により資金調達が進められた。
万博会場の設計は、ドイツ移民の技術者シュヴァルツマン(H. J. Schwarzmann)が行った。会場には8万平方メートルの広大な面積を有する鋳鉄構造の本館と木造の機械館があった。会場全体は、これらを含む7つの主要会場と日本館を含む250の各国館など、それまでに見ないほど多くのパビリオンが作られ、素晴らしい景観となって配置されたが、本館などの建築は開催直前まで完成せず、展示品も開催後に到着したものもあった。
開幕初日の1876年5月10日にメモリアルホールの前で開会式が行われ、37カ国からの来賓を含め20万人が参加した。午後には、機械館でコーリス・エンジンが始動された。アメリカ大統領グラントとブラジル皇帝ドン・ペドロがコーリス・エンジンのバルブ・レバーに手を置き、エンジンをスタートさせると、機械館に置かれている様々な機械が一斉に動き出した。
本館はアメリカと諸外国の工業製品の展示に割り当てられていたが、アメリカだけで3分の1を占めていた。展示品には、ガラス工芸、銀食器、科学的道具、時計、歯科器具、セラミック製品、家具などとともに、織物、楽器、ピストル、100トンのクルップ大砲などがあった。それらの出展品は出展国別で、さらに8つ(鉱業・金属学、製造業、教育と科学、芸術、機械、農業、園芸学)に分類されていた。これまでの万国博覧会と違いメダルの等級はなく、13,000もの金賞が様々な分野で授与された。
機械館の配置は本館に類似しており、アメリカを含め14カ国が出展した。既成のものとしては、鉱業装置、植字機、印刷機、機関車、ドリル、旋盤、消防車、電気モーター、織機、幻灯機などがあった。発明品として紹介されたものは、レミントン(Remington)社のタイプライター、ベル(A. G. Bell)の電話、エディソン(T. A. Edison)の四重電信装置、農業や重工業向けの機械などである。機械館の8割はアメリカの出展品であった。
閉幕近くに集客数は伸びたが、万博全体は大幅の赤字に終わった。
- 参考文献:
伊藤真実子 『明治日本と万国博覧会』 吉川弘文館 2008 <D7-J8>
平野繁臣 『国際博覧会歴史事典』 内山工房 1999 <D7-G26>
吉田光邦 『万国博覧会 : 技術文明史的に』 改訂版 日本放送出版協会 1985 <D7-67>
Finding, J. E., Pelle, K. D. ed.: Historical dictionary of world's fairs and expositions, 1851-1988 (Greenwood Press, 1990) <D7-B3>