1889年第4回パリ万博

フランス革命100周年

【コラム】エッフェル塔

エッフェル塔(La Tour Eiffel)は1889年第4回パリ万博の最大のモニュメントとなった建築物である。

高い塔を建てるという計画は、1833年のトレヴィシック(R. Trevithick)の計画に始まり、様々に試みられていた。ロクロワ(E. Lockroy)商工大臣が、フランス革命100周年記念のモニュメントとして良い案がないか、トロカデロ宮を建築した建築家ジュール・ブールデ(J. Bourdais)に訊いたところ、ブールデはかねてから構想していた366メートルの石の塔、「太陽の塔」を提案した。これは石造りで、頂上に特殊な反射鏡を設置して、地上から送る電光を反射させ、夜でも昼のような照明でパリ全市を明るく照らすというものであった。しかし、ノートルダム寺院の5倍もの高さを石で建造することは現実離れしていたし、アーク灯でパリ中を照らすのはまぶしすぎるのではないかと懸念された。

一方、エッフェル社社長エッフェル(A. G. Eiffel)は、自社の技師ヌギエ(E. Nouguier)とケクラン(M. Koechlin)が構想していた、鉄(錬鉄)を用いた塔をこのモニュメントにふさわしいと判断し、これを提案した。鉄は石と違って軽く、あらかじめ作っておいたユニットを組み立てるだけで済むため、物理的・経済的にも合理的であり、それ以上に何よりも19世紀を象徴する「鉄」を用いた塔は、新時代のイメージにふさわしかった。これに飛びついたロクロワ商工大臣は、わずか15日間で鉄の塔の案を提出せよという法令を出してコンクールを行い、結果、エッフェル塔が採用された。

しかし、石造りのパリの街に突如飛びぬけて高い鉄の塔が立つことは、著しく景観を損なうとの反感も多く、芸術家らによってパリ市に反対請願書も提出された。モーパッサン(H. R. A. G. de Maupassan)、デュマ・フィス(A. Dumas. fils)、ルコント・ド・リール(C. Leconte de Lisle)、ガルニエ(C. Garnier)など当時の著名な文化人らが名を連ねている。ロクロワ商工大臣は、これほど著名な人が反対したということはむしろ名誉であると考え、この反対嘆願書をエッフェル塔内に展示したほどである。

エッフェル社は、そもそも鉄の建造物を多く手がけた会社であった。エッフェル塔の建築以前にも、1878年のパリ万博の展示館や、フランス最古の百貨店「ボン・マルシェ」、自由の女神の骨組、ガラビの鉄道用高架、パナマ運河などを手がけていた。特に、鋼の橋を作っていた技術を垂直方向へ応用して作られたのがエッフェル塔である。

着工は1887年1月28日、完成が1889年3月31日で、建設期間は2年2カ月であった。建設作業は危険を伴うものであったため、労働者のストライキにあったりしたものの、作業員に死亡者を出すこともなく、異例の速さで完成させることができた。最終的に、エッフェル塔の鉄筋部には7,300トンの錬鉄が使われ、高さは312メートルとなった。

1889年5月6日、無事にオープン、5月26日にはアメリカ・オーティス社製を含めたエレベータ(水力)5基が設置され、朝9時の開場にも関わらず、8時から多くの観客が列を作った。期間中には200万人がエッフェル塔に上り、その中には、イギリス王太子やサラ・ベルナール(S. Bernhardt)、開催中のパリ万博に多くの出品をしていたエディソン(T. A. Edison)などもいたという。ただ昇ってパリ市街を眺めるだけという行為が、人々にとって意外にも大きな娯楽となった。

夜には、三色のアーク灯によるサーチライトでライトアップされ、エッフェル塔自体は電灯で光を放っていた。アーク灯と電灯が使い分けされていた時代であったことがわかる。また、各階には電話があり、電信局も設置され、新時代を象徴する様々な技術を内蔵していたのである。

建設に多くの反対意見があったにもかかわらず、完成後は多くの芸術家の作品に描かれることとなった。建築から20年後には取り壊される予定であったが、無線の時代を迎えると、1906年にアンテナが設置され、第一次世界大戦時にはドイツの無線を傍受するなど軍事拠点としても活躍した後、現在ではパリの街には欠かせない存在となっている。

参考文献:

エッフェル塔100周年記念展実行委員会, 群馬県立近代美術館編 『エッフェル塔 : 100年のメッセージ 建築・ファッション・絵画』 エッフェル塔100周年記念展実行委員会 1989 <KA382-E27>
鹿島茂 「パリ万博絶景博物館(8)300mの塔誕生顛末記」 (『施工』 363号 1996.1 <Z16-72>)
鹿島茂 「パリ万博絶景博物館(13)異界を演出する電気の光」 (『施工』 368号 1996.6 <Z16-72>)
倉田保雄 『エッフェル塔ものがたり』 岩波書店 1983 <KA382-27>
松浦寿輝 『エッフェル塔試論』 筑摩書房 1995 <KA382-E51>