電気エネルギーの利用
画像は、1893年シカゴ万博の電気館に設置された蒸気機関アリスエンジンである。これで発電機を回して発電し、会場内に電気を供給した。シカゴ万博では電気を利用した様々な発明品が展示され、電気の時代の到来を印象づけた。(コラム「電気の活用」参照)
18世紀以前は、電気といえば摩擦により発生する静電気だった。1800年にヴォルタ(A. Volta)が、溶液を介して異種金属を接触させたときに電気が発生する現象を発見して「ヴォルタの電堆(電池)」を発明したことにより、持続的に電気の流れを起こすことが可能となった。彼の発明は、ほどなく、クルークシャンク(W. Cruikshank)によって実用的な電池に改良された。
1821年にはファラデー(M. Faraday)がはじめて電動機(モーター)の原理を考案する。これは、電流を流した針金を磁石に近づけると力を受けるという現象を利用したものであった。彼は1831年には逆に、鉄心に巻いたコイルに永久磁石を出し入れすると電気が生じる、つまり磁気によって電気を作れるという「電磁誘導の法則」を発表した。現在の発電機、変圧器はすべてこの応用である。翌年、ピクシー(H. Pixii)がこれを応用して世界初の発電機(ダイナモ)を発明した。電動機と発電機は、同じ原理を利用しているが、前者は電気エネルギーにより機械を作動させ、後者は機械の作動による回転力で電気エネルギーを発生させるという働きをする。
1860年前後になると、アーク灯の実用化、電信機の登場などで電力需要が高まり、ジーメンス(W. von Siemens)やグラム(Z. T. Gramme)の製品に代表される実用的な発電機が続々と製作される。1882年には、イギリスで一般消費者向けとしては初の発電所(ホルボーン・ヴァイアダクトHolborn Viaduct)が稼動した。一方、電動機が実用化されたのは発電機よりも少々遅れた1870年代以降である。1873年には、ウィーン万博で先のグラムが直流電動機を出展した。この頃の電力技術は直流が主流であったが、1880年代後半以降、フェラーリス(G. Ferraris)による二相交流電動機の発明、ウェスティングハウス (Westinghouse) 社による交流方式の採用、フェランティ(S. Z. de Feranti)による交流送電方式の発電所建設など交流の台頭が始まる。これに伴い、交流方式の電動機の登場が待たれた。1887年にテスラ(N. Tesla)が実用的な交流電動機(二相誘導電動機)を発明する。
発電機の登場とその後の改良は、大量の電力供給を実現し、電灯、電動機、電信・電話の発達を促した。また、手動であった農機具や生活用品など様々な分野で電気が利用されるようになった。特に、これまで蒸気を利用していた機関車が電動になるなど、19世紀後半においては蒸気から電気への動力の大きな変化があったと言えよう。医療、生活用品など様々な技術分野でも電気の利用が試みられた。
エレベータ
エレベータの歴史は案外古く、19世紀初頭には、水圧を利用したエレベータが開発されていた。1853年のニューヨーク万博では、蒸気を動力としたオーティス社製のエレベータが出展され、オーティス(E. G. Otis)自身が実演してその安全性を示してみせたと言う。また、1867年パリ万博では水圧式エレベータが出展されていた。
この画像は、1893年のシカゴ万博の会場に設置されたエレベータである。圧倒的な電気の力が示されたシカゴ万博では、エレベータも電動になった。
- 参考文献:
岩本洋 『絵でみる電気の歴史 : 図版300枚で物語る電気の発見の旅』 オーム社 2003 <ND21-H5>
城阪俊吉 『エレクトロニクスを中心とした年代別科学技術史』 第5版 日刊工業新聞社 2001 <M31-G50>
高橋雄造 『百万人の伝記技術史』 工業調査会 2006 <ND21-H140>
チャールズ・シンガー[ほか]編 ; 高木純一訳編 『技術の歴史.9』 増補版 筑摩書房 1979 <M31-47>
直川一也 『電気の歴史』 東京電機大学出版局 1994 <ND21-E48>