第3部 出展品からみる明治日本の産業

(1)内国勧業博覧会のはじまり

博覧会の概念が伝わる以前の江戸期の日本では、薬品会や本草会などの物を陳列して観覧する催しが行われていたが、珍しいものを見物するという色彩の強いものであった。しかし、幕末には洋式の製鉄、造船などを試みる藩も現れ、外国の機械類も輸入され始めた。

明治に入り、富国強兵・殖産興業の一環として、西洋技術の紹介、国内産業の競争・発展を企図する内国勧業博覧会が開催される。勧業政策が色濃く打ち出された政府主導の博覧会であったが、回を重ねるごとに民間の出品も増加した。西洋技術の移入は、機械・設備を全面輸入する形のほか、外国製品を見様見真似で模したり、西洋技術と在来技術を融合させて日本流に改良する形でなされ、出展品もその状況を反映していた。それらは、当初は技術的に未熟なものであったが、第5回に到る頃には、現存する企業の創始者たちによる出展も見られるようになる。

ここでは、主に博覧会報告書の出展品図版とその説明を掲載する。現在見て重要な発明品がすべて出展されていたわけではないが、機械化の進展に伴って、出展品も変化し、また、機械の分類そのものが変えられていく点も興味深い。

第1回内国勧業博覧会 1877(明治10)年 東京

第1回は、殖産興業を担当する内務省勧業寮の設立(1874年)から3年というスピード開催で、展示品は政府によるものが最も多かった。政府は短期間で多数の国内出展品を募るため、出品人助成法を作って運搬費助成等を行い、出品を促した。展示品は府県別に展示され、競争心を煽った。

外国製品は政府購入品のみが出展され(第4回内国博までこの状態は継続)、内務省勧農局出品の風車や金属製の農機具などが展示された。

外国の模倣として、外国製品を分解して模造したというミシン印刷機の出展もあった。

工部省工作局の旋盤、京都西陣の荒木小平の木製ジャガード織機のように西欧の技術を日本の産業に合う形で取り入れた製品が出展されている点は注目すべきである。また、ウィーン万博の技術伝習生による出展も見逃せない。測量技術を学んだ藤島常興が工作局時代に製作した尺度劃線機(ものさしに目盛を刻む機械)は、その一例である。一方、臥雲辰致紡績機(ガラ紡)のように在来産業から生まれた製品もあり、これは従来の綿糸生産体系を変えることなく使用できたため、急速に普及した。

量的には、紡績農業関係の出展品が多かった。農業機械では、神村平介の煙草切り機播種機が人力を省いたという点で高評価を得た。しかし、高額だったため普及は進まなかったようだ。

工業発展の基礎と目される原動機類では、横浜製鉄所の杉山徳三郎が出品した蒸気機関が2等賞を受賞しているが、実用には適さないとの意見もあった。外国ではまだ水力利用も盛んであり、水資源の豊富な我が国では、まずその利用が試みられた。

第1回ではこのように、国内製品は、外国製品の模倣、改良といった段階に留まっていた。

第1回内国勧業博覧会の出展品

第4区機械 出品状況

分類 機械 出品数 画像
1類 化学 4 -
2類 工作 26 サムネイル一覧へ
3類 紡織 63 35 サムネイル一覧へ
4類 裁縫 3 サムネイル一覧へ
5類 革工 0 -
6類 時計 0 -
7類 宝飾 0 -
8類 印刷 3 サムネイル一覧へ
9類 動源 10 サムネイル一覧へ
10類 提水 25 サムネイル一覧へ
11類 消火 16 -
12類 醸造 1 -
13類 泳水 0 -
14類 製氷 1 サムネイル一覧へ
15類 鉄道 0 -
16類 農産 51 25 サムネイル一覧へ
17類 運搬 8 -
合計 211 83 サムネイル一覧へ
出典:

『明治十年内国勧業博覧会報告書』内国勧業博覧会 (1878)

参考:

度量衡換算表

  • 野村長三郎出品の印刷機 標準画像を開く
  • 工作局出品のドンキーポンプ 標準画像を開く
  • 小澤善平出品の打麦機 標準画像を開く
  • 工作局出品の東京赤羽分局製繰糸機 標準画像を開く

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