国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

1930年代の日記より

年表から日記を見る

主なできごと

1930年1月11日
金解禁
1930年1月21日
ロンドン海軍軍縮会議開会
1930年11月14日
浜口雄幸、東京駅で狙撃される
1931年9月18日
満州事変
1932年3月1日
満洲国建国宣言
1932年5月15日
五・一五事件
1933年1月30日
ドイツ、ヒトラー内閣成立
1933年3月27日
日本、国際連盟脱退を通告
1936年2月26日
二・二六事件(-2月29日)
1936年8月1日
ベルリンオリンピック(-8月16日)
1937年7月7日
盧溝橋事件(日中戦争勃発)
1938年4月1日
国家総動員法公布
1939年9月1日
第二次世界大戦勃発

昭和5(1930)年1月11日

金解禁、シャンペンで祝杯  経済
詳しく

〇愈々[いよいよ]金解禁の当日なり、万事平穏順調些の動揺なし。安心。〇市場平穏、株式しっかり。〇食堂にてシャンペンを抜き祝杯を挙ぐ。

昭和5(1930)年1月11日

金解禁のお手柄  経済
詳しく

民政党内閣濱口総理大臣、井上準之助蔵相の御手柄。金輸出解禁の日。

昭和5(1930)年1月21日

衆議院解散  帝国議会 選挙
詳しく

〇議会再開。〇午前十時貴族院にて施政方針演説一時間に渉[わた]る。これに対し小久保喜七[こくぼきしち]氏の質問あり。これに答ふ。〇午後一時半、衆議院開議、自分、外相、蔵相三人演説の後、政友会犬養総裁の質問あり。自分これに答弁す。犬養氏の再質問あり。自分またこれに答ふ。第二陣として山本(悌)氏演壇に上り将[まさ]に口を開かむとする時、解散の詔勅下る(時に午後四時四十二分)。

昭和5(1930)年2月23日

無効投票の落書  選挙
詳しく

こはれた小橋に濁つた小川、無残(無産)の戦はどれもいや(本所)

昭和5(1930)年2月24日

党ではなく人を選びたい  選挙
詳しく

濱口首相の声明に、小党派の人の当選少きは、民衆が大政党の分立する政党的覚醒が充分で、主義主張の不確実な小党派が認められざるに至れるなりとの事。…政党が団結して悪事を遂行する事甚しき間は、僕は人物本位なり。

昭和5(1930)年11月14日

ライオン宰相の遭難  事件
詳しく

午前九時発「燕」号にて出発の間際[まぎわ]、八時五十七分東京駅プラットフオ-ムにおいて、佐郷屋留雄[さごうやとめお]なる一青年の為、モーゼル式拳銃をもって狙撃せられ、弾丸下腹部に命中、重傷を負ふ。

昭和5(1930)年12月9日

日本の人口は64,447,724人! 
詳しく

国勢調査の結果により、人口発表あり。内地の人口は、6444万7724人、男女別は、男101に対して女100。市では第一が大阪で245万、東京は207万(しかし東京府としては540万8千、大阪府は354万)、第三は名古屋90万7千、第四が神戸78万7千、第五が京都76万5千、次が横浜広島福岡長崎函館呉仙台札幌(16万8千)の順。

昭和5(1930)年12月10日

JOAK二重放送 
詳しく

JOAK今日から二重放送。但一月三十一日迄は試験で二月一日から本放送。

昭和5(1930)年12月22日

浜口首相の慰問決議  帝国議会
詳しく

浜口首相遭難に対する慰問決議をなしては如何[いかん]との議あり。(小山副議長よりの申出ならん)。前例としては、伊藤公遭難の際の一例あり。

昭和6(1931)年11月11日

渋沢栄一死す 
詳しく

午前一時五十分、渋沢子爵薨去す。

昭和7(1932)年5月15日

五・一五事件  事件
詳しく

今夕五時半、首相官邸において首相兇手に倒る。十一時半薨去。陸海軍将校、候補生十八名一団。夜九時、私邸弔問。

昭和7(1932)年8月30日

衆議院書記官長のドイツ国会見学  海外
詳しく

Nazisは全員BraunのUniformに革のBandで入場着席。とても壮観偉観だ。しかも三分の一以上を占める優勢ぶり。

昭和10(1935)年7月10日

幻となった議会図書館建築  図書館・読書
詳しく

六十七議会専用庁舎図書館本建築を、憲法発布五十年紀念事業として予算をとるの件は、決議案可決ありたるも、十一年分としては主計局として内交渉の結果要求せざることとす。

昭和11(1936)年2月26日

二・二六事件の一報  事件
詳しく

雪。今朝七時半頃、警務課より電話、首相、内大臣、侍従長、蔵相、教育総監、青年将校軍隊の襲撃を受け、即死または重傷の由。

昭和11(1936)年8月1日

ヒトラーが登場するベルリンオリンピック  海外
詳しく

四時少し過ぎ、大総統(Führer)Hitler氏幕僚を随[したが]へ入場。花わ一斉に手を揚げHeil-Hitlerを叫ぶ。各国々旗掲揚。Olympiaglockeを鳴らす。かくして各国選手の入場式始まる。…日本は二十五六番目(中央)に大島旗手を先頭に堂々と入場。

昭和13(1938)年3月13日

映画で気晴らし?  娯楽
詳しく

相模行、みぞれ交りの雨中、一ラウンドす。帰途、昭和館にてモダーンタイムス見物。

昭和14(1939)年1月23日

No enkai night  娯楽
詳しく

久方振りのNo enkai nightで帰宅す。

昭和14(1939)年12月27日

初めての議場  帝国議会
詳しく

初て議場に行く。今日は陸海軍に対する感謝決議あることとて11p.m.行く。先づ10.30貴族院、一条公の決議案朗読あって、陸海軍大臣の謝辞。次で12.20衆議院にて小川郷太郎、山崎達也の決議朗読。陸海軍大臣の謝辞あって終る。